vol.11:オリジナルプリント3 田中長徳

20年も前から田中長徳という名前は、写真雑誌の口絵で知っていた。どんな写真を載せていたかはもう憶えていないが、写真の評論も手がけていて、その頃によくあった、写真家を分類するだけの評論ではなく、写真家から見た、写真家論や、写真を見ることの大好きな人が書いたと一目で分かる文章が好きだった。当時は中古カメラをいとおしむ語り口で写真家を論じていた。その後「ウィーン、ニューヨーク、新潟」という写真集を見るにいたり、僕の中では、バリバリ硬派な写真家だという認識が固まっていた。

 10年後、写真雑誌からすっかり遠ざかっていた頃、書店に積まれていた、「銘機礼讃」という本に田中長徳という名前を久しぶりに見た。木製の大型カメラの写真とライカのA型のイラストが表紙で「愛すべき写真機たちの肖像」と副題が付けられていた。ローライをメイン機として使い、ライカも手に入れていた時期だっただけにすぐにその本に飛びついた。旧いカメラの情報が極端に少なかった頃で、その手の話に飢えていた。奥付を見ると1992年12月10日第2刷発行とある。初刷から2ヶ月経っていない。僕だけではなく、多くのファンをつかんだようだ。その後どのくらい増刷を重ねたかはしらないが、社会現象にまでなってしまったのは周知の通りだ。

 「銘機礼讃」は数ある長徳本のなかで断トツに面白い。カメラの薀蓄だけではなく、カメラを軸にヨーロッパや東京の時代を語っている本とも言える。この本でヨゼフスデクを知り、東欧を知った。「ライカ、リスボン、ポルトガル」「リスボンでホロゴン」「マミヤプレスの過去」など何度でも読み返すことができる。確かにこの本には中古カメラウィルスが添付されていた。

 4年後に「銘機礼讃2」が出ているが1のほうが濃いような気がする。しかし「人生の午前十時十分頃のオリンパスワイド」というタイトルにはやられた。ロバートフランクの「自分の時間はすでに薄暮である」の言葉からひいたものだが、20歳前の甘酸っぱさがそのタイトルから伝わってくる。今読み返してみたら、1を執筆していた時が40歳と書いてある。今の僕と同じ年回りだ。それを頭にいれてもう一度読み返してみようと思う。

 田中長徳は中古カメラの人というのが一般の認識だろうが、僕にはシリアスフォトグラファーという思いが抜けきっていない。「ウィーンとライカの日々」は自分の持っている多くの写真集の中でもとても気に入っている1冊だ。

 写真集でしか見ることの出来なかった初期のウィーンと、8×10で撮ったニューヨークのオリジナルプリントを見る機会があった。六つ切のフォルテに伸ばされたウィーンと期限切れのアグファのブロビラに密着されたというニューヨークのコンタクトプリントは20年の時を経てなお、新しさと懐かしさ、そして美しさを僕に与えてくれた。ウィリアムクライン、森山大道とニューヨークを舞台としたプリントを手に入れていた僕は、田中長徳のニューヨークを自分のものとすることに躊躇は無かった。セレクトには時間をかけ、50枚のシリーズから慎重に5枚を選び出した。

 このシリーズは田中氏がニューヨークから戻りお金がとぼしい頃、今はもう無いギャラリーMINが、50枚のセットで買い上げてくれたものらしい。その後MINが無くなりモールの津田さんがそれを引き取り、そのモールも無くなるときに僕の手元に来た。

 写真にはサインが入っていなかったため、6月9日、東京都写真美術館で行われた講演会を聞いた後、写真にサインを入れてもらった。初めて見た本人は著作どおりの風貌で、2時間ぶっ通しで中古カメラを熱く語っていた。スライドショーの写真がカメラのブツだけだったのは残念。こんどは、カメラの話だけではなく、写真の話も聞いてみたいものだ。