vol.42:売り込み

フリーカメラマンになるには資格など必要ないから「俺は(私は)今日からフリーのカメラマンだ」と宣言してしまえばよろしい。


といってもそれだけでは誰も仕事をくれないので「売り込み」が必要である。知り合いにディレクターなりデザイナーなり編集者がいれば、とりあえずそこに挨拶に行って「仕事を下さい」ということになる。手ぶらではなんなので通称ブックと呼ばれる写真のポートフォリオを持参する。


知り合いということであれば邪険にされることもなく「フリーは大変だよう」とか「俺も会社辞めたいんだよね」などとパラパラッとブックをめくりながらたわいもない話をし、そこの部署の若い担当に「俺の友達なんだよね。なんかあったら仕事まわしてあげて」などと紹介してくれて売り込み一丁上がりとなる。


しかし、たいていのフリーカメラマン志望者は、その手の人々とのつながりがあろうはずもなく、いったいどうしようということに相成る。たとえば写真スタジオに2年間勤めていてフリーになろうとしても、スタジオという世間から離れたところで暮らしているため知り合いの数が少ない。ブックには2年間撮りためた写真が詰まっているが、そんなもの友達に見せて喜ばれても、ディレクターなり編集者に見せなければ仕事にはつながらない。


で、意を決して「売り込み」に行くことになる。この場合、自分が好きな雑誌に行くのが一番多いだろう。雑誌の奥付を見て編集部の電話番号を探し、ドキドキしながらダイアルを回す(今は押すのか)。


雑誌の編集部の場合、新人であっても必ず写真を見てくれる。これは不文律のようなものだ。編集部も忙しい時期があるからすぐにとはいかない場合もあるが、時間を決めて会ってくれる。


出迎えてくれた編集者と名刺を交換し、まずはブックを見てもらう。この時間がたまらない、ドキドキだ。とくに新人の頃はブックを評価してもらえないということが、全人格を否定された気になるものなのだ。興味を引いているのかどうか相手の顔を覗き込む。「いいですね」とか「どうやって撮ったんですか」と聞かれるとホッとする。脈ありだ。


しかし、ブックをパラッとめくり「なんか仕事で撮ったのないの? こういうの見せられてもちょっと判断できないよねー」などと言われたらもうアウトである。もうそこにいる意味はない。丁重に挨拶をして去るのみである。「仕事がないから売り込みにきてんだよ!」などと言えるはずもない。


それでもシンデレラストーリーは存在する。スタジオ勤務を経て「週刊プレイボーイ」に売り込みに行った大村克己氏は1週間後、週プレ巻頭グラビアのアイドルロケで、南の島で200本のフィルムをまわしていたという。


勘違いしやすいのが「何か機会がありましたら是非よろしくお願いします」という言葉だ。大概何の機会もない。最初のころ何度この言葉にだまされたか。無論、相手はだますつもりではないのだろうが、一向にその機会とやらはやってこない。


うまくいくときはその場で仕事の話になるもの。もしくは2週間以内に連絡がある。1ヶ月なければ縁がなかったということだ。




新人のころ、その世界ではメジャーな雑誌に売り込みに行ったことがある。フリーになったからにはどうしてもその雑誌で仕事がやりたくて売り込みに出かけた。打ち合わせ室に通され待っていると編集者とデザイナーが現れた。2人はブックを丁寧に見てくれたものの言葉は少なく「なにかありましたら」との言葉を残しただけで終わってしまった。もちろん「なにか」は望むべくもない。


2年後、どうしてもその雑誌でやりたくてもう一度売り込みに出かけた。前回よりも写真の出来はよくなっているはずだ。加えてその雑誌の最近の傾向を探り、対策として写真にある手法を用いることでアピールできるのではと考えブックを作りあげた。案の定それは編集者とデザイナーの目に留まり「もう一度その手法を使った写真を撮ってきて欲しい」と要求された。


1週間後、約束の写真を持っていくと編集者とデザイナーは何も言わずじっと見ている。そしてまたしても「なにかありましたら」というお約束の言葉で別れた。「ダメか…」自信があっただけにショックだった。


しかし10日後、編集部から「表紙から巻頭10ページの撮影を」と依頼が来た。これには電話口で我が耳を疑った。おまけに「渡部さんの好きなように撮ってもらっていい」という夢のような話だった。その後なんどもその雑誌で仕事をすることができ、そこでやっているということが、新しい仕事をするときの信用にもなっていった。


今でもその雑誌は新人カメラマンの登竜門の役割を果たしている。ブックがよければこれまでのキャリアを考えずに起用してくれる。デザイナー曰く、「一発芸のあるカメラマン歓迎」ということだ。




なぜ「売り込み」の話を書く気になったかというと、本当に久しぶりに「売り込み」に行ったからである。ある本の担当編集者に頼み、その雑誌社の老舗の女性誌2誌を紹介してもらうことができたのだ。久々に緊張した。初対面の人に写真を見てもらうのは何年たっても慣れないもんだ。


さあ編集者に挨拶、という段階で名刺を忘れたことに気がついた。売り込みにいって名刺を忘れる、これは撮影に行ってフィルムを忘れるようなものだ。一気に汗が吹き出る。苦し紛れに自分の写真集を差し出し「こ、これを名刺代わりに」。


すると「この写真集見たことがあります」との言葉が。南の島が好きで写真集にある竹富島やティオマン島にも行ったことがあると言う。おかげで話も弾み、他の編集者も集まってきてくれて、まあ大成功だった。


ちょっといい気分で下の階のもう1つの女性誌に。するとそこでは「どんな写真をとっているの?ジャンルは?ファッション?ビューティ?ブツ?旅もの?なんでも撮れるっていうのはダメよ」と始めからビシッと釘をさされる。


グッと言葉が詰まる。何せ持っていったものがスポーツありポートレートありブツあり旅ものあり、なんでもありなのだ。とにかくポートレートがメインだと説明して写真を見てもらう。


「ライトはストロボ?」「プリントは自分でしてんの?」「手早く撮れる?」「うちの雑誌のギャラ知ってんの?」もう矢継ぎ早に質問が飛ぶ。それでもだんだんと人が集まってくれて写真を評価してくれた。


編集部を去るときはもうクタクタ。自分をうまくプレゼンテーションするのは写真を撮るよりずっと難しい。


はたしてその2誌から依頼はくるだろうか?