vol.50:真っ赤なボルボ

初めてのポスター撮影はベンツの190Eだった。葉山の海岸沿いで車をバックに女子大生がニッコリ。女子大生にベンツをモニター試乗させるバブルならではのキャンペーン。その頃、女子大生はひとつのブランドだったのだ。


撮影が終わりテラスで皆でお茶を飲んでいると、彼女はメーカーの人に向かい「この車、小さいから私にものれそー。買っちゃおうかなー。今、車持ってないのに駐車場代5万円もはらってるんだもん」


僕が葉山に乗って行ったのは、酒屋さんや現場の方々が良く使っている白のワンボックスバン。40万円の借金を重ねようやく手に入れたばかりだった。


ベンツの190は新車で480万円。諸経費入れて、値引いても500万は下らない。5年ローン60回払いで金利を入れると月10万。駐車場が5万円で、保険が月2万。車を維持するだけで1ヶ月17万円!それを目の前のこの小娘は払えるというのか!


27歳の売れないカメラマンは固く固く心に誓う。「ベンツがなんだ!ボルボだ。オレはボルボに乗ってやる」なんだかよくわからない闘争心と嫉妬心がむくむくと湧き上がるのだった。


かくかくっとした真っ赤なボルボのワゴンが、当時の僕のカメラマンたる成功のイメージだったのだ。(若かったしね)




加納典明は大阪からカメラマンになるべく上京したときに200万円の借金をしたと本人から聞いた。今なら1千万くらいの価値。その金でカメラ機材を買うでもなく、事務所を作るでもなく、一台の外車を買った。MGのロードスター。この車でナンパを繰り返し、モデルになる娘を探す毎日。外車のめずらしかった時代にMGのオープンは目立ち、モデルを見つけるのに苦労はない。彼にとって当時一番大切なものが何かといえば、ハッセルでもスタジオでもなくモデルになる女の娘だったのだ。




やっぱり一流どころは違うね。こういうお金の使い方は正しいと思ってしまう。僕がボルボを欲しかった理由といえば、ただの見得。荷物がたくさん入るとか丈夫などというのは単なる言い訳。




仕事を始めたばかりの頃はバイクに機材をくくりつけて運んでいた。それから白の日産のバネットバンを2年半。好きだったけれど、追突したら両足ぐしゃぐしゃになるなと思い乗り換え。結婚したばかりの妻の貯金をだまして買ったのは新車の日産アベニールワゴン、4WD。僕は「黒のスポーティワゴン」を買ったつもりなのに、世間は「茶色の営業バン」という認識しかなかったようだ。良く走ったのだけれど、全然愛着が持てない。




31歳。機は熟した。まだ車検前のアベニールを下取りに出し、ボルボの購入を決意。ああ、苦節5年、ついに赤のボルボが自分のものに。ボルボ940GLスペシャルエディション、内装は当然革張り。革張りの内装はちょっと匂っているけど気にしない気にしない。ボルボ購入は渡部さとる、カメラマン人生前半のハイライトに値するのだ。


これまで国産車時代にスタジオに行くと、隅っこの道路際に車を回され続けたが、これからはもうそうはさせない。意気揚々と六本木スタジオに乗りつけた。ところが、玄関先には色とりどりのボルボが7台、まるでショールームのようにズラリと並んでいるではないか。すっかり毒気を抜かれた僕は、隅のほうにそっとボルボを停めた。ピカピカの車はいかにも「頑張って買いました」と言っているようで恥ずかしかった。


実家(山形県米沢市)に車で帰省すると誰もボルボのことなど知らない。真っ赤な四角い車を見て「さとるが消防車で帰ってきた」と噂になったくらいだ。


それでも皆に「いい車ですねー」といわれる度に「いや〜ただの荷物車ですよ」と鼻高々。ガソリンが大食らいだとか、スピードが出ないとか、そんなものはその美しいプロポーション前には何の障害にもならない。駐車場に停めると必ず後ろを振り返ってニンマリしてしまう。かくかくっとした四角いボディに愛嬌があるのだ。荷物も、これでもかというくらい積める。機材を目一杯積んで大人4人がゆったり乗れる。不満はなにもない。ずっと乗るつもりでいた。


しかし7年間故障知らずで走っていたボルボも、とうとうステアリングボックスがいかれ、エンジンからオイルが染み出してきた。エンジンマウントとATボックスも交換時期となり車検では結構なお金がかかることが判明した。信用の置ける整備工場で見てもらったところ「人間の年齢で言えば70歳。まだ直せば大丈夫だけど、これからいろいろ手がかかるね」と診断された。


仕事で使っている以上壊れることは許されない。「車が壊れたから撮影に遅れました」は通じないのだ。やむなく中古車買取のガリバーに引き取ってもらうことにした。なんと7年間乗って90万円の査定。いったんは煮えきらずに家に戻ったが、「人気車種なのでどうしても引き取りたい」、と夜中に押しかけられ売ってしまった。


現金と引き換えにそのままボルボを持っていかれたので別れを惜しむ時間さえなかった。売ってから「これでよかったのだ」と思い込もうとしても後悔が頭をかすめる。


結局新しい車もボルボにした。オリーブグリーンのV70、NORDIC。日産ステージアとか考えたのだけど結局前の車のイメージが強すぎてボルボとなった。


ちょっと丸みを帯びた今度の車は野暮ったさが消えて洗練されている。内装も匂わない。でも、もう前のように駐車場で後ろを振り返ることは無くなってしまった。僕のイメージの中のボルボは、今でもかくかくっとした真っ赤なボルボだ。