vol.51:オートフォーカス

僕が写真を始めた25年前には、巻上げはモータードライブ(なんか古臭い言葉となったな)が普及し始め、露出はオートが当たり前になりつつあった。でもピントだけは手で合わせるものだったのだ。オリンパスOM−2やキャノンAE−1が大ヒットしていた頃だ。


35歳以上の人なら記憶にあると思うが、最初にオートフォーカスを実現したカメラは1977年発売の「ジャスピンコニカ」。コニカはそれ以前から小型で持ち運びやすい「ジャーニーコニカ」や、内臓ストロボを始めて搭載した「ピッカリコニカ」でコンパクトカメラ分野のトップを走っていた。後の「ビックミニ」といいコニカはなんてチャーミングな名前をつけるのだろう。


「ジャスピンコニカ」は今のように電子式でカメラをコントロールするのではなく、バネ仕掛けでピントを制御する「からくりもの」でコストを抑え、大きさも従来の「ピッカリコニカ」と変わらぬものに成功。大ヒットどころか社会的現象にまでなった。


自動巻上げは付かないものの、コンパクトで自動露出、ストロボ内蔵、しかもオートフォーカス。今でも十分通用するスペックとなっている。ただ、唯一最大の弱点は、ピントが中央にしか合わないため、2人並んで記念写真を撮ろうとするとピントが真ん中の背景に合ってしまうことだった。


その後続々とコンパクトカメラにオートフォーカス機能がつき始めて、キャノンの「オートボーイ」のように自動巻上げ、自動露出、オートフォーカスの3点を実現したものも現れた。しかし一眼レフのカメラにオートフォーカスは、まだまだ実現不可能だと思われていた。


僕がカメラマンとしてスタートしたのは1984年で、スポーツ新聞社のスタッフカメラマンからだ。スポーツを撮るのは、望遠300ミリが標準レンズとなるような世界。ピントの幅もおのずとシビアになり新米カメラマンにとっては胃が痛くなる毎日だった。「ピントがちゃんと合う」ことがどんなに大変かを身をもって知ることになる。「ピントをどんな場合でも合わせることが出来る」のがスポーツカメラマンの条件だった。


ある時、ナイターでの陸上大会のグランドで、黒っぽい服装をしたカメラマンが僕の横に陣取った。スポーツカメラマンというのは意外と人数が少なく、特に陸上競技を撮影に来るメディアは限られているため大概は顔見知りなものだ。その人は会社の腕章もつけておらず、かといってフリーのスポーツカメラマンという感じでもなかった。


スポーツカメラマンというのはカメラや望遠レンズのさばき方に特徴があり、一目見るとすぐに専門かどうかが分かる。ところが隣の人は素人ではなさそうだが、スポーツを専門にしているとは思えない。ふと見ると使っているカメラが見たことも無い形をしていて、白い望遠レンズ(たぶん300ミリ)が付いていた。


報道系で使うのはニコンかキャノンと相場が決まっていて、他のメーカーのカメラを使うことはありえない。気になった僕は「珍しいカメラですね、どこのヤツですか」と聞いてみた。すると質問が聞こえなかったかのように不意に立ち上がり、別の競技のブースに行ってしまった。


「なんだアイツ」と思いながら彼の後姿を見ていると、おかしなことに気がついた。レンズのピントリングに左手をかけていないのだ。撮影中も左手がレンズにつけた1脚の根元を握っている。「やっぱり素人か」。スポーツカメラマンは撮影中絶えずピントリングに手を添えて焦点を合わせ続けている。一旦合わせたらそれでいい、というわけにはいかない。被写体が動くたびに左手は、ミリ単位でピントリングを動かすことになる。なのに左手が動く様子は見えない。その後彼は特に有名選手を狙うわけでもなく、あちこちの競技ブースを渡り歩いていた。


それから半年後、ミノルタからオートフォーカス一眼レフα7000が登場した。噂も前触れなく、突然の発売に業界はあっと驚いた。レンズも広角から超望遠まで揃い、システムカメラとして立派に完成していた。


ボディの形を見て驚いた。ナイター陸上で隣にいたカメラマンが持っていたカメラにシルエットがそっくりだったのだ。彼が持っていたカメラのメーカー名は、黒くつぶされていたが間違いない、陸上競技をテスト撮影していたのだ。オートフォーカスなら左手をピントリングにかけていなくてもいいはずだ。しかしその当時、一眼レフのオートフォーカスが世に出るとはまったく想像できていなかったから、なんの疑問も抱いていなかった。


それまでもペンタックスやニコンがレンズ側にモーターを組み込んだ「オートフォーカスレンズ」を発売していたが、まだまだ実用として使えるものではなかった。そこにボディ側にモーターを内蔵させレンズを駆動させるという発想で、現在のカメラに繋がるエポックメーキングなものをミノルタは作り上げたのだ。


実機がミノルタから貸し出され、使ってみるとほんとにピントが合う。今では当たり前だが、シャッターボタンを軽く押しただけで「ジージー」とレンズが動いてピントが合う。「オオー」デモ機を取り囲んだカメラマンから歓声が上がった。


しかし動いているものにはまるっきりピントが合わず、すぐに「なーんだ」ということになってしまった。ベテランは「機械にピントが合わせられるわけがない」と自信たっぷりだった。「いかなる場合でもピントを合わせることが出来る」はスポーツカメラマンの誇りでもあった。それを機械に奪われることがあってはならないのだ。


フリーカメラマンになった頃の、最初の売り文句が「動いているものにピントが合わせられます」だった。オートフォーカス以前のカメラで、動いているものにピントをしっかり合わせることが出来るのは一つの立派な芸だったのだ。最初の2年はそれで食べていけたようなものだ。今ではピントが合うのが当たり前になってきてそんな売り文句は通用しなくなってしまった。


新聞社の頃、ベテランのカメラマンが、ガシャガシャと連写する僕ら若手を見て「俺たちのころはモータードライブなんか使わなくて1枚1枚、手で巻き上げてたもんだ」とよく言っていた。僕は「そのうち俺たちは手でピントを合わせていたもんだ、と言うことになりますよ」と返していたが、まさかこんなに早くそうなるとはその頃は想像できなかった。