vol.54:春の日射し

先週から突然暖かくなってきました。お日様が段々高くなってきて、1月までの太陽の入射角とは明らかに違ってきています。毎日毎日、お日様を気にして生きているから(多分普通の人の10倍くらい空を見上げています)、少しでも変わるととっても気になります。撮影がない日に空がきれいに晴れあがったりすると、すごーく損した気持ちになります。もったいないという気持ちが湧き上がるのです。今度の撮影に取っとけないかと思う。根っからの貧乏性だね。


11月から12月にかけての日差しは強烈。「さえぎるものは何もない」という感じで降りそそいできます。空気が乾燥しているせいでしょう。写真に撮ると日陰は真っ暗になり、コントラストが異常に高い絵が出来ます。斜めに入る光のせいで建築物を撮ると劇的にカッコよくなり、絞りを1/3ほど切り詰め気味にすると、青い空が群青色になって宇宙を描いたようになるのです。毎年この時期はカメラを持って街をウロウロ。東京に住んでいて一番好きな時期です。


ところが1月も半ばになると光が突然だらしなくなってきます。立春とはよく言ったものでその日を節として光が変わります。日差しが高くなるとチリやホコリにさえぎられて光が柔らかくディフューズされ、シャドーの部分にも光が回り始める。春の日差しという、穏やかでボヤッとした光になります。


緯度が高いほど日差しは斜めに。写真的にカッコいい状態です。しかも天空が厚いなまり色の空に覆われて、光が切れ間から差し込めば完璧。そんな絵どこかで見たことあるでしょう。そう、ヨーロッパの宗教画です。あちらの絵や写真がどうしてあんなに決まるかと言えば、総ては光のなせる業。パリの冬なんて朝の7時でも真っ暗。日があがっても太陽は遠くのほうから申し訳なさそうに差し込んでくるという感じ。日本の冬の光のように直火という感じがしません。それが石畳を柔らかく照らす。いい感じ。


ある映画監督が「ヨーロッパにロケに行ったときに、僕らが日本でしている苦労はなんだったんだろうと思った。こっちではそのままキャメラを回せば絵になるんだから」と嘆いていました。日本の光はあまり映像的ではないようです。


反対に赤道近くの南の島は太陽が真上にあります。ハワイはある時期、一瞬だけ太陽が完全に真上になって影が消えると聞いたことがあります。消えるというのは、物体の真下に影が出るから見えないということ。残念ながらまだ見たことはないのですが、是非一度体験してみたいもんです。


トップから降る光はのんびりしていて人を深刻にさせない効果があるような気がします。緯度の高い国ほど顔が「むっつり」しています。もっとも彼らに斜めの光があたると、いかにも映像的になるんですが。


南の島の夕暮れ、太陽が水平線に沈むと一瞬の間をおいてフラッシュバックが起こります。たった数十秒ですが漆黒の天空から水平線にかけて何十もの光のカーテンが生まれます。いつでも見られると言うわけではなく、条件がそろった数ヶ月に一度のようです。初めて見たのはバリ島のクタビーチでした。空とビーチと海の色が一瞬だけ同じ色に染まりました。15年前の話しです。


東京に話を戻すと年に数回、劇的な光に巡り合うことが出来る時期があります。それはお正月とGWとお盆。車が無くなっただけで信じられないほど光に透明感が出てくるのです。一雨降ってチリが落ちればいっそう物の輪郭がくっきりと浮き上がり、鮮やかさが目にしみます。このときばかりは「東京ってきれいだなー」としみじみ思うのです。でも昭和30年くらいまでは毎日こんな空を見上げていたんでしょう。




この時期暖かくなって気持ちが良くなるはずなのに、一年中で一番きらいです。昨日あたりからグシュグシュいいはじめました。これを書いていても目がかゆい。薬を飲むと一日棒に振ったような体調になる。でもかゆい。毎日飲むべきか飲まざるべきか悩みます。去年は大島に行ってひどい目にあいました。眼があけていられず痒さで気が変になりそうでした。それにしてもどうして大島であんな異常な体調になったのかさっぱりわかりません。そんなに大島は花粉が多いのか?


出来れば1ヶ月くらい海外に脱出したいものです。でも毎年ままなりません。今年も妻に宣言しました。「来年2月3月は南のほうにいく!」。ところで花粉症は日本だけのものなのでしょうか?行った先で去年の大島のようになったら泣いてしまいます。




ひとつ宣伝。2月20日発売の「ライカ通信」に8ページ立てで僕のNYでの写真が掲載されています。珍しくカラーの作品です。是非感想をお寄せください。

渡部さとる