vol.59:出張

奈良、大阪、神戸、和歌山、熊本、福岡、宮崎、広島と、8日間の取材旅行に出ていた。こんなに長い日程の取材は久しぶり。


長い日程の仕事だと、撮影内容もさることながら同行者が誰かということが非常に重要になってくる。限られた時間の中での取材物の場合、お互いを信頼していないとスムーズに事が進まなくなる。そうなるとお互いイライラしてきてつまらないことで喧嘩してしまう。


今回は幸運にも同行者が僕より年上の酸いも甘いも噛み分けたベテランだったことと、このご時世にはめずらしく経費をちゃんと使える仕事だったので本当に楽しい取材旅になった。各地の名産の食べ過ぎで体が重くなったのは誤算だったけれど。




アシスタントがいない長い取材になると機材選びに頭を悩ます。出来るだけ少ない機材で行きたい気持ちと、いろいろな場面を想定してあれもこれももって行きたい気持ちが入り乱れる。35ミリカメラを使う場合、ボディは最低2台必要。それとポラロイドバック付のボディが1台。レンズは20ミリ、28〜70ミリのズーム。135ミリ。1.4倍のリアコンバーター。接写リング。ハンディのストロボもいる。これで中型のカメラバックは満杯。ロケの場合、カメラバックは軽いキャンバス地の「MARTIN」というブランドをつかっている(「ドンケ」にそっくり)フィルム50本とポラロイドフィルムを用意すると小さいバックが別に一つ必要になる。三脚はハスキーの3段クイックセット。照明が必要の場合はサンスターの400Wモノブロックストロボにスタンド、ソフトライトボックスのセット。それに1週間の着替えを詰めたバック。これに中版カメラとかが必要になったら眩暈がする。


なにかを削らなくてはとても持っていける重さではない。しかし、どれを削るかと言えば着替えを最小限にするくらいしかない。今回は幸いなことに照明機材がいらなかったので、だいぶ楽になった。ストロボを使うことがなければポラロイドも必要なくなる。着替えのバックが一つ、カメラバックが一つ(フィルムはカメラバックに詰め込んだ)。それと三脚。これでなんとかなった。


常々ライターや編集者は「身軽でいいなー」と羨んでいたが、近頃はパソコンが必需品となってきて事態は変わりつつある。今回の同行者はMACのパワーブックG4にA4対応の薄型スキャナーまで持参してきたのだ。デジカメなどの付属品や資料を合わせるとその重量はカメラマンと大差ない。


今後デジカメ全盛になるとカメラマンはパソコンも持っていかなくてはならなくなる。バックアップ用にCDROMまで焼けるものを選ぶとその重量もえらいことになる。やれやれこれでまた荷物が増える。


あまり知られていないがカメラマンで1番デジカメを使っているのは新聞社だ。今ではもう当たり前のように使われている。新聞各社は写真部から暗室を無くし、入稿に必要な全ての作業をパソコンで行っている。当然出張にもパソコン持参で、デジカメで撮った画像をプレスセンターやホテルから本社に送る。海外へいく場合はこれに衛星携帯電話インマルサットと折りたたみ式のパラボナアンテナの組み合わせが必需品となる。これで通信事情の悪い国や、砂漠などの電話線のないところでもバッテリーの続く限り原稿を送ることが出来るのだ。




15年前に僕が新聞社にいた頃の話。ロサンゼルスオリンピックで始めて登場したデジタルカメラが「マビカ」だった。報道用にソニーから貸し出され朝日新聞などが紙面で使っていた。フロッピーディスクに記録するタイプで画質はお世辞にも使える代物ではなかった。おそらく30万画素以下で、いかにもデジタル写真という写り。速報用に使うというより「デジタルで撮りました」と謳うための使い方しかされていなかったようだ。


その頃新聞社のカメラマンは、地方に出張に行くと、支局がない辺鄙なところへは暗室道具と、やたらと重い写真電送機を持っていかなくてはならなかった。それに加え撮影機材と着替えに一抱えもある超望遠レンズ。その重量たるや今思うと担いで歩けたのが不思議なくらいだ。




現地に着くとホテルの部屋をまず暗室に改造するのが決まりだった。フィルムはベルト式リールで現像。定着液はフィルム、印画紙共用。現像液は液状にパックされた印画紙用を使い、そのままではフィルム現像には濃すぎて使えないので10倍に薄めて使っていた。目安が2リットルの現像タンクにフィルムケース摺りきり一杯だったと思う(こんなデータなんの役にもたたんな)。



プリントはニコンのF3にマイクロニッコールの50ミリを付け、裏蓋をはずし専用のランプハウスを取り付ける(なんとこんなものが市販品として小さいメーカーから出ていた)。それを三脚につけて引き伸ばし機の完成。こんなのでもキャビネ版まできれいに伸ばすことが出来た。


電送機の設置は、モジュラージャックなどない時代だから室内の電話を分解しワニクリップでつないだ。電送機を回すと「ピコーン、ピコーン」と怪しげな発信音がする。それを聞きつけた隣の部屋の人がホテルのフロントに「隣の部屋にスパイがいます」と通報されてしまい大騒ぎになってしまった。ホテルの支配人からは、部屋を勝手に暗室にして薬品の臭いをプンプンさせ、電話機を分解したのがばれて大目玉を食らった。LAN接続が出来るホテルが当たり前になってきている今では笑い話だ。




引き伸ばし機まで持って行った時代からデジカメ時代になってきたけれど、相変わらず持っていく機材の重量は減りそうにない。いつまでたってもカメラマンが重労働なのは変わりないようだ。







宣伝です。
「東京人」5月号で巻頭特集「デパートを楽しむ57の方法」の撮影をしています。
表紙は日本橋三越の夜景です。
コラム(vol47:お買い物)で以前書いたスーパーアンギュロン65ミリで撮りました。