vol.65:ニコン

このサイトを始めたのが2001年6月1日。ちょうど一年がたちました。カウンターは現在12269を指しております。


このHPは、出版社が倒産してしまい、引き取った在庫の写真集の販売母体として急造でこしらえました。若くてセンスのあるデザイナーにめぐり合えたことは幸運でした。よく「あのサイトは自分で作っているのですか?」と聞かれますが、いまだにHTMLのタグを見ると眩暈がします。


デジタル音痴を自認していた僕ですが、この一年でメールを使うようになり(それまではアドレスを持っていても誰にも教えていませんでした)デジカメにまで手を染めました。そして、1日の内の少なからぬ時間をPCの前で過ごすようになってしまいました。


オープン時、8本から始まった「コラム」も今回で65本目になります。100本のコラムと10本のギャラリーを目指して今年も少しずつ更新していきたいと思っています。




「ニコン」

前回「香港と台湾」で「M5もF2も欲しくない」と書いたら「どうしてニコンを使わないのですか?」と質問が来た。その人はニコン党の人らしい。


オリンパスOM-1を携えて上京してからというもの、国産、舶来産を問わず相当数のカメラを使ってきた。中には中国製やロシア製というのもある。


ニコンは新聞社に入って半年間、いわゆる「ペーペー」の時に使っていた。いや、使わされていた。1ヶ月の研修を終えて(その中には新聞配達や勧誘の仕事も含まれていた)写真部に配属されると、2台のボディと2本のレンズ、それとクリップオンの専用ストロボが合皮の安っぽいカメラバックと共に支給された。


中身は「ニコンF2チタンモータードライブ」に80〜200F4ズームと28ミリF2.8。ボディは特別にチタンコーティングがしてある報道仕様で、黒の結晶塗装がしてある外観はカッコイイのだが、モードラ付のボディはとにかく重かった。手になじむとか、エルゴノミクスとかを完全に無視した1970年代の直線が基調のデザインは、使い手にスポーツマン並みの握力を要求した。


しかもF2チタンには内蔵露出計などというヤワなものは付いていない。当然現場で露出計など取り出している余裕などないから全て「勘」で決めなくてはならない。先輩に教えてもらったのが「晴れたらセンパチ」であった。快晴であったらシャッタースピードが1000分の1秒で絞りがf8と言うことだ。ちなみに使うフィルムはトライX。


「日陰3段落ち」というのもあって、影が出ないところはセンパチから3段開け、要するに125分の1秒のf8ということになる。もうひとつ、室内の露出を30分の1秒のf5.6と憶えておけばモノクロの露出は何とかなる。


当時、もうニコンF3が発売されていたが、「新人にはF2」と言うのはどこの社でも一緒だった。読売新聞と系列の報知新聞はキャノンを使っていたが他は押しなべてニコンだった。「報道のニコン」と謳うだけある。新聞社のように会社から機材が支給される場合、たとえ他社のカメラが少々使いやすくても共有機材の問題から滅多なことではニコンから変わることはない。


例えば社の機材ロッカーには魚眼レンズから1000ミリまでの超望遠レンズ、代替用のボディ、専用ストロボなどニコン製品がぎっしり詰まっている。キャノンのボディを使うということは、それらをもう一セットキャノンで揃えなくてはならなくなる。


「必要な時に応じてニコンとキャノンを使い分ければいいじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、ニコンとキャノンは、ピントリングの向き(ニコンは無限遠に合わせるのに右回転、キャノンは左)絞りリングの向き、シャッタースピード軸の回転の向き、レンズマウントの脱着の向きなど、ことごとく正反対に作られている。これはニコンがコンタックスをなぞり、キャノンがライカを真似たからだと聞いた。


手探りでレンズを交換し露出を決める現場では、機材は体に染みているものでなければならない。「アレ!どっちだっけ」ではすまないのだ。特にピントに関しては、ベテランほど長年の積み重ねで体得してきたものがあるからおいそれとメーカーを変えるわけにはいかない。




1980年に入って「報道のニコン」の牙城を崩すためにキャノンが積極的にプロに売り込みをかけてきた。プロ会員向けに機材の無料貸し出しを行なったり、ビッグイベントへのサービスマンの派遣やグッズの配布などが功を奏して、雑誌やコマーシャル関係のカメラマンでキャノンを使う人が徐々に増えてきた。「ニコンのボディだったらどんなにボロボロでも3万円で下取ります」というのもあった。もちろんレンズの優秀さが認められたせいでもある。


それでもほとんどの新聞社は、以前から使っているニコン以外は考えられなかった。いくら「ただで貸し出します」といっても誰も使いたがらない。


そこへ「F2は重いだのメーターが付いていないだの」ガタガタ言っている新人だった僕に、キャノンの人が囁いた。「新品のニューF-1、2台貸します。レンズも好きなやつ持ってきます。ズームでも300ミリでも何でも言って下さい」。


ここに、いつまでたってもF3を支給してくれない新人カメラマンの不満と、メーカーの新聞社に食い込むという思惑が見事に一致した。こうして最新式のカメラに300ミリF2.8までのレンズが自分のものになった。もちろん借り物ではあるが。その後、ボーナスの度にキャノンのボディを1台、レンズを1本という具合に自分のカメラを増やしていった。


F2は悪いカメラではない。先人達はF2で数々の傑作をものにしてきている。無骨だが丈夫だ。でもね、ニコンはどうしても好きになれないのだ。多分、一生の内で一番辛い時期をニコンと共に過ごしたせいかもしれない。とにかく怒鳴られた、フィルム暗室でオイオイ泣いたことまである。原因はと言えば「写真が良くない!」という一点だ。


カメラマンは少々性格がゆがんでいようが、お調子者であろうが写真が良ければ全てが許されるところがある。その大事なところが否定されるのだ。これに対して僕は素直に努力するような人間ではなかった。そう、あろうことかカメラのせいにしたのだ。「ニコンが悪い。F2があわない」


キャノンにしたからといって突然写真がうまくなるわけがない。それでも最新機種を使うことで未熟さを補える気がしたのだ。カメラが変われば写真が変わる。今でもよくそううそぶいている。


昔の写真が入った引き出しをゴソゴソやっていたら、新聞社時代のスナップが出てきた(現場で撮られた写真はこれ一枚だけ)。多分25歳、場所は裁判所の前。ロス疑惑の三浦裁判かなにかの時だろう。キャノンニューF-1に80〜200ミリのズーム、T90に20〜35ミリのズームを付けていたはず。首からぶら下がっているのはストロボの積層電池のパック。サンパックのオート25SRという当時の報道カメラマン御用達のストロボがT90のほうに付けてある。脚立と腕章が泣かせる。

(2002/06/02)