vol.71:バリ島へ 1987

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会社勤めをしていた三年の間、ずっと「何処かへ」行きたかった。


しかし、あまりにも忙しすぎる職場では三日間以上の休みは望むべくもなかった。
まる三年勤めた会社を辞めた一週間後、僕はバリ島へと旅だった。


バリ島と言っても.まだほとんどの人に知られていなかった頃だ。BALIへ行くと言っても相手はPARISへ行くもんだと思い込んでいて、話が噛み合わないこともしばしばだった。あるニュースキャスターが夏休みをバリ島で過ごすにあたり、わざわざバリ島とは何処にあるかということをフリップ付きで説明していたくらいだ。


なんでバリ島だったのかは自分にも良く分からない。なんとなく南の島の「楽園」のイメージがあったのかもしれない。忙しすぎた三年間がそうさせたのだろう。


バリ島での滞在中、宿の主人が「この島に来る日本人で一番多い職業は何だと思う?」と聞いてきた。僕は「先生、医者、カメラマン、エンジニア」と思い付く職業の全てを挙げたが、全部はずれだった。


正解は「無職」。


それを聞いて耳の先まで真っ赤になった。まさに僕がその状態なのだから。


無職が職業かどうかは別として、日本人の多くが会社勤めを辞めて島へやってくる。欧米人が長い休みを利用してやってくるのとは対照的だ。


そう言えばタイの小さな島で知り合ったカナダの銀行マンにスイスの歯医者、イギリスの大学講師はそれぞれ三週間から一ヵ月の休みをとって島へとやって来ていた。彼等に滞在期間を問われ、ボソッと「A Week」と答えたら一斉に「So Quickly!」と信じられない顔付きをされた。


チェッ!絶対言うと思った。島に一週間しかいないと言うのは、まるで悪いことをしているような感じだ。




バリ島が初めての海外だった。学生時代、行きたいと思っていても、まだまだ海外旅行は高値の花。円が200円以上のその頃、ヨーロッパ行きの南回り(アフリカ回りで東京-パリが30時間もかかった)オフシーズン格安チケットで三十万円以上はする。


卒業旅行をヨーロッパに選んだ者は、その代償として三年間、月々三万円近くのローンを覚悟しなければならなかった。


今でも覚えている。1987年、僕が買ったバリ島行きのオフシーズン格安チケットは128000円だった。




夜の8時、バリ島ドムンアン空港に降り立つと、湿気が身体に真綿のように纏わリついてきた。手を伸ばすと重い空気の層が感じられる。遠くの方にボウッと薄暗く蛍光灯の明かりが見える。乗客は誘蛾灯に誘われるように飛行場を歩き始めた。


建物は国際空港と呼ぶにはあまりにお粗末な代物だった。切れかかった蛍光灯がチラチラする中、インドネシア人の黒い顔に三白眼の白い眼が光る。なにやらお香のような甘い匂いが鼻をくすぐる。「ガラム」という煙草の匂いだった。インドネシア中どこへ行ってもこの匂いがする。国の匂いともいうべきものだ。今でもガラムの匂いを嗅ぐと懐かしい思いにかられる。


イミグレーションを抜けると、外は客待ちのホテルのボーイやタクシーの運転手で溢れていた。チケットは買ったもののホテルは予約をしていない。なんとかなるだろうと高を括っていた。観光案内所があるだろうし… しかし、頼みの案内所は閉まっていた。当時のバリの人間は働き者ではなかった。夜の便があろうとも、夕方にはシャッターを閉めて帰ってしまっていた。


持っていった『地球の歩きかた』で慌ててホテルを調べる。まだバリ島のガイドブックはほとんど存在せず、『地球の歩きかた』のみが強い味方だった。「バリ島」は、「インドネシア」編の「その他の島々」の中で30ページくらいでしか紹介されていなかった。


公衆電話を探すが、国際空港だというのに2台しかなく、その両方ともが壊れていた(もしかすると使い方が分からなかったのかもしれないが)。あれだけいた客待ちの人々はもう誰もいなくなった。徐々に不安が忍び寄る。 とにかくタクシーでホテルまで行くことにした。オフシーズンだ空いてる部屋くらいあるだろう。


ボッタクリタクシーだけは避けなくてはならない。『地球の歩きかた』に書いてあったとおり、エアポートタクシーのカウンターで「クタビーチ」行きのチケットを買う。街灯もないタクシー 乗り場に案内されるが、あまりの暗さに運転手の顔さえ判別できない。運転手にホテルの名前を告げると、「OK!」と威勢よく出発したものの「オレはそこより安くてグッドなホテルを知っている、そこに行こう!」と盛んに誘ってくる。


僕はホテルの名前を連呼するだけで精一杯だった。「何処から来た、何回目だ、いつまでいる」、滞在中幾度となく聞かれることになる質問に馬鹿正直に答える。車の向こうには、アセチレンのランプに照らされた屋台がぼんやりと見える。貴重品の入ったバックを胸に抱えながら、とうとう異国に来たのだということを窓の外に感じた。

(2002/07/19)

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