vol.72:バリ島探し

最近バイオの不調やギャラリーの新設などで更新がとびとびになっています。バイオはハードディスク交換という荒療治で復活しましたが、メールアドレスのほとんどをなくしてしまいました。どうか皆さんアドレスを教えてください。よろしくお願いします。


今後も更新は不定期になりそうです。夏ですから、どっか行きたいし… でも予定は立ってないけど。


ギャラリー「Bali High」はいかがだったでしょうか?初めて行った1987年と1990年の写真です。当時はカラーで撮っていました。


ちょっとシブ目の色合いの写真が始めて行ったときのもので、バリ島クタビーチ。コダクローム64を使っています。カメラはキャノンのT-90に20-35ミリ、80-200ミリのズームです。


ハデ目の色合いが2回目のときの写真で、ロンボク島のタンジュン・アンビーチ。フジの水陸両用のコンパクトカメラで撮っています。もう製造中止になっているでしょうが、とても良いレンズが付いたカメラでした。知り合いのカメラマンが砂漠のレースの撮影で唯一、最後まで動いたカメラだとも言っていました。密閉度の高い構造は、水だけではなく、砂にも強かったようです。




1987年のバリ島は聖と俗がバランスよく交じり合う、本当に「楽園」のようなところでした。精神世界を強く感じさせる踊りや儀式がそこら中で見られたかと思うと、きちんとしたサービスを受けられるホテルがある。レストランやバーでは冷たい飲み物を楽しむことができる。食堂や屋台は雰囲気だけではなく、味もいい。


海辺も街中も山奥もそれぞれ別の顔を持つ「楽園」でした。「でした」というのは3年後の1990年に再訪してみると、風景が一変していたからです。メインの道路沿いにポツンポツンとしかなかったお店は、数キロに渡って途切れることなく続き、ビーチにいると信じられないほどの物売りが押し寄せてくる。


それでも内陸部のウブドはまだそれほど変化が見られずホッとしました。軽飛行機で30分の距離にあるロンボク島まで足をのばすと、そこはまだ多くの村に電気の通っていない過疎の島でした。


ロンボク島、タンジュン・アンビーチは、集落から馬車に乗って30分くらいのところにある隠れたビーチでした。まぶしいほどの真っ白な砂浜、両脇を小高い丘に囲まれた湾には蛸やロブスターが身を潜めているサンゴ礁。パラダイスと言っていいほどの風景でした。その後多くのビーチを訪れることになりますが、一番はなんと言ってもそのとき見たタンジュン・アンです。


「Bali High」2枚目の写真のおじさんが手にしているのはロブスターです。ビーチにいた僕のことを手振りで海に誘うと、先っぽを鍵型にした長い棒で巧みに蛸や海老を巣穴から引きずり出し、得意満面の顔で「バグース!(最高ダー)」と叫ぶのでした。


このサイトのトップ絵にもなっている三人の子供の写真はそのとき撮られたものです。(コラム45「子どもの写真」へ




それからまた三年、三度目のバリ島。しかし、島のあまりの変わりようは目を覆いたくなるほどでした。バランスが悪いほうへと傾いたのでしょうか。ロンボク島にも電気が通り、静かな村には即席のディスコが大音量を上げていました。タンジュン・アンには作りかけて放置されたホテルの残骸が無残に晒されています。もうじきこの近くには空港が新設されてこの辺はリゾート地になるらしいとのことでした。軽い失望と諦めを残し、島を後にしました。




それからは「昔のバリ島のようなところ」を探しに僕の島旅が始まりまりした。タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、沖縄と続きます。やがてそれは1冊の本にまでなりましたが、いまだに「新しいバリ」を見つけることはできていません。結局のところ僕の島旅は「バリ探し」にほかなりません。


もし、僕が最初に選んだ異国が「Bali」でなく「Paris」だったとしたら… おそらく相当違った人生になったことは間違いないでしょう。

(2002/07/29)

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