vol.73:会長の愛

夏だというのに何処へも行けない。正確には銚子の海に海水浴へ行った。でも1泊だけ。


日本にバカンスという言葉は永遠に定着しないと思う。だって皆働き者。お盆だろうがなんだろうが関係なく仕事のスケジュールが入る。もちろん仕事は多いに越したことはない。フリーのカメラマンなんだから。




今仕事で撮っているのは「22人の若き経営者」のポートレート。25歳から40歳くらいまでの社長を撮影している。もうほとんど夏休みの宿題状態。撮っても撮っても終わらない。毎日が学生の会社訪問のようだ。同業者なら、22人という数字に同情を感じてくれることだろう。




「ユニクロ」の社長からネット関連の社長まで。若干32歳で1部上場企業の社長に生え抜きで抜擢された人物や、29歳で時価総額50億円の創業社長なんていう人もいる。大変は大変だがトップに立つ人間を撮るというのは面白い。お金を稼いだり大勢の人間を束ねたりするというのは大きな才能だ。そういった人間はやっぱり顔や仕草に独特のオーラが出る。スポーツマンや芸術家と一緒。




いままで色んな社長や経営者を撮ってきた。その中で忘れることのできない強烈な印象を受けた人物がいる。


「ダヴィンチ」という雑誌がある。本好きのための月刊誌で、僕も創刊当初から作家のポートレートを数多く撮ってきた。当時、担当だった副編集長が編集長に昇格しての始めての仕事だった覚えがある。


「お金」に関する特集の撮影だった。「渡部さん、本当のお金持ちを撮りに行きましょう!小金持ちじゃなくて大金持ちを探しますから」。半信半疑だったが、もし本当なら本当のお金持ちの暮らしぶりには興味がある。


数日後、編集長から興奮した声で電話があった。「ある筋からとんでもない人を見つけました。これぞ本物です!」。


話によると、ある1部上場企業の会長。僕らの年代の男は、子供時代に必ずお世話になっている。そのメーカーの名前を聞くと少年時代が郷愁とともによみがえるはずだ。現在はある分野で世界の50パーセントのシェアを持つ国際的な大企業。会社経営は完全無借金の超優良企業。会長の年齢は70歳を越している。個人資産は数百億、多すぎて把握しきれていないという。数百坪の敷地に立つ屋敷に一人暮らし。妻子は離婚していていない。




身の回りの世話はというと、30人を超すメイドと4人の執事、厨房には料理長を始め料理人が常駐し24時間体制で世話にあたる。たった一人の人間のためにである。




住まいの一部は撮影してもいいがプロフィールと顔は出さないという条件。それともう一つ、午後1時からの撮影だったが「昼飯を抜いて来い」ということだった。






約束の時間5分前、僕ら(編集長、編集者、僕、アシスタント)4人は豪華な門構えの屋敷に着いた。塀が高くて中の様子はまるでわからない。門兵のような屈強なガードマンの先導で屋敷へと通される。広大な車止めには真っ白のストレッチリムジンが置いてある。


玄関だけで僕の事務所の広さはゆうにある。奥に通され、挨拶を交わした会長は温厚そうな、それでいてまだ現役の匂いがする人物だった。肌の張りや艶は年齢より若く見える。


撮影してもいいのは1階の洋間と和室それと庭。プライベートな寝室などの2階はダメ。洋間といっても小さな体育館くらいはある。和室にいたっては100畳が2間続きになっている。一方が仏間で、もう一方には片側に10人は掛けれるような大きな座りテーブルがしつらえてあり、足元は掘り炬燵のように足を出せるようになっていた。世界中の政財界の大物がここに表敬にやってくるという。


洋間はアールデコやらロココやら、日本人が考えうる洋室のもっともベタな造りになっていた。しかし調度品や絵画は全て本物の超一流品が揃えてある。ベタもそこまで行くとグウの音も出ない。今まで見た中で一番豪華なシャンデリアの下、段々と雰囲気に飲み込まれそうになる。


洋室の隅に「からくり時計」が置いてあった。板の上をピンポン玉をちょっと小さくした赤いガラスの玉が転がり時を刻む。中に描かれた絵の美しさとあいまって見ていて飽きない。和室には全て金で出来た胡蝶蘭などが飾られていたが(時価2000万円)、アンティークの香りがするからくり時計が気に入ってしまった。


なにげなく「いい時計ですね」と側にいた執事に言ったら「ええ、あのサイズのルビーは日本ではなかなかお目にかかれないでしょう」


コロコロと転がっている赤い玉はルビーだったのだ。間違いなく億単位の値段らしい。


和室は総檜造りで釘は1本も使っていない。横に走る梁は完全な正目の一本柱で、節は一つも見当たらない。屋敷内の空調は温、冷、2系統が独立して制御する。この工法はコストが倍になるのでめったなことでは行われないという。


洋室、和室、庭と目に付くもの全てを写真に収めていく。最後にメイドと執事の集合写真を撮って終了。たっぷり2時間近くかかった。


撮影の終了を執事に告げると、和室の大テーブルに通された。上座には会長が座っており、テーブルを見ると料理の器の側に「カメラマン様」「編集長様」「編集者様」「アシスタント様」と和紙に筆で書いた座席表が置いてあった。それはいいとして、その横には「ゆうこ」だの「あかり」だのという札が見える。会席料理の献立は筆でしたためられ、最後に料理長の署名もきちんと入っている。




会長が「パンパン」と手を打ち鳴らすと和服姿の若いコンパニオンが部屋に入ってきて我々の間に座った。この娘たちが一切の給仕をしてくれるのだ。おしぼりから始まって、お酒のお酌、料理の受け取りから果ては蟹の身をほぐすことまでやってくれる。料理は一流料亭のそれとまったく変わることなく上品でしっかりした味だった。


会長は賑やかに食事が出来るのが嬉しいのか終始ご機嫌だった。時に顔をほころばせ昔話を始めた。戦後1つの特許を取り、東京に出てきたこと。弟と2人がむしゃらに働いたこと。それが成功してまだ渡航許可の下りづらかったころにハリウッドに渡ってスターと会ったこと。昔話は延々と続くがまったく嫌味はなかった。それより戦後から高度経済成長にかけての話は講談話のようだった。


「会長の御趣味は?」と聞いてみたら恥ずかしそうに「ラジコンだ。飛行機を飛ばすのが好きなんだ。一部屋一杯に飛行機がある。それを川原で飛ばすのが唯一の息抜きだ」ニコニコと話す姿は幸せな隠居生活に見えた。




その席にはもう一人女性が同席していた。彼女はVIPクラスのお見合い交渉人で、会長の再婚相手を探していたのだ。実は今回の「ダヴィンチ」の企画は会長のお見合い相手の誌上募集を兼ねていた。顔とプロフィールを隠して財産を見せ本気であることをアピール。興味のある人を募集し選別したのち、会長と引き合わせるということだった。


色々な雑誌が候補に挙がったらしいが、スキャンダルを扱わず、知的な人が好みそうな雑誌ということで「ダヴィンチ」に白羽の矢が立ったようだ。まさか掲載後、ワイドショーを巻き込んだ大騒動になるとはこの時思いもしなかった。


会長はひとしきり自分の昔話をすると、不意に寂しそうに「俺はな、金もある、地位もある、名誉もある。でもな愛がないんだ…」70歳過ぎの老人が吐く台詞にしてはクサイ。でもそれはとてもとても切実な言葉に聞こえた。


がむしゃらに働いてお金と名誉が手に入った時には家族が去っていった。何のために働いてきたのか分からない。もう一度「愛」を取り戻したい。年老いた会長が最後に望むことは「愛」だった。




親族からは猛反対にあっているという。そりゃ当然だ。何百億という遺産がわけの分からない後妻に相続されるのだから。普通に考えたら再婚して一緒にいれるのは多くて20年、普通は10年ないだろう。


会長はニコリともせず、「浅岡ルリコがいいな、彼女がきてくれたらいいんだがな」と冗談とも本気ともつかないことをいう。「本当はな、苦労人がいいんだよ。蝶よ花よと育てられたお嬢様より、苦労してきた40歳くらいの子持ちがいい。うちにきてくれたら掃除も洗濯も料理も何にもしなくていい。ただ俺の側にいてくれるだけでいいんだ。もう1軒家を建てようと思っている。もう準備はできているんだ。ここは広すぎる。もっと落ち着いたところがいい」




あっという間に時間が過ぎた。もう辺りは真っ暗になっている。手土産を持たせてくれると、会長は名残惜しそうに僕らを見送ってくれた。




本当は会長にこう聞きたかった。「これまで生きてきて一番幸せだったのはいつでしたか?」喉元まで出ていた言葉を飲み込んで、僕らは屋敷を後にした。

(2002/08/12)