vol.75:バリ島とローライ

ギャラリー「Bali 2002」へ


遅めの夏休み。旅から帰ってきたら季節が変わってた。


10年ぶりにバリ島へ。




毎度のように「写真を撮ってくる」と言い残して家族を振り切り一人旅。


いつも悩むのは何のカメラを持っていくかということ。旅するカメラマンにとって永遠の課題のようなものだ。


今回は「ローライ(2眼レフ)で撮った写真を貸してほしい」という専門誌からのリクエストもあったのですんなりローライを持っていくことに決定。


ただ今使っている2.8Fプラナーは、重いし立派過ぎる。仕事で使う分には立派に越したことはないが、旅でぶら下げて歩くには不相応だと常々感じていた。



事務所にはもう1台ローライが転がっている。70年前の設計で少なくとも50年以上は経っていると見られる「ローライフレックススタンダード」だ。友人でもある作家毛利甚八から借り受けているもの。彼は九州に拠点を移したためずっと返していない。

戦前のカメラだからあちこち痛みが激しい。レンズは銘玉テッサーが付いているが、うっすらと曇りがかかっている。折り畳み式のファインダーもガタが来ていて、スクリーンの端はガラスが大きく欠けている(あんまり汚れていたので外して掃除しようとしたら割ってしまったのだ)。フレンネルスクリーンではなくただの磨りガラスだから画面の周辺は暗くて見えない。ルーペも所定の位置で止まらないからピントを確認するのがイライラする。


シャッターはセルフコッキングじゃないから、シャッターを切った後巻上げを忘れると二重露光になってしまう。12枚撮りきって巻き上げたら、次のフィルム装填の時に必ずカウンターを1に戻さなければならない。これをおこたると駒と駒が派手にダブリをおこす。


シャッタースピードダイヤルにはクリックストップが付いていない。手応えがないから、どこで速度が切り替わるかよく分からない。そこでシャッタースピードの計測器で、どの場所にスピード表示がくるといいのか念入りに調べる必要がある。やれやれ、なんともやっかいなカメラだ。なにせ戦前モノだから。


(カルメット製の計測器は、軽くて値段も3万円くらいだから旧いカメラが好きな人は手に入れることをお勧めする。旧いカメラを買う時にシャッターが壊れていないか確かめるのにも便利)




モノクロをつめて撮ってみたらハレーションは出るはコントラストは低いはで、まったく魅力のないカメラだった。「まあ戦前のカメラだから」とオブジェ扱いしていたのだけれど、ある時、残っていたポジフィルムを詰めて撮ってみたら滲んだ絵が気持ちいい。コントラストが割りに高いプロビアだったのも幸いしたのかも。同じ場所を撮ったローライ2.8Fプラナーより雰囲気がある。


アシスタントWがこの上がりを見て気に入ったようで使ってみたいとローライスタンダードを持っていった。撮ってきた写真を見ると、現代のレンズでは出せない、濁った、それでいて不思議と透明感を感じさせる作品になっていた。よほど気に入ったのかローライスタンダード1本で一つの作品を作り上げ、写真展まで考えているようだ。


他の人の撮るものは、たとえそれがアシスタントのものだろうと気になるもの。Wの写真を見ているうちにスタンダードもいいなと思い始めた。ボロボロで軽いというのも旅カメラとしてぴったりだ。


フィルムはネガカラーのコダック160VCが15本ほど事務所の棚にあまっていた。ヴィヴィッドな色と高コントラストのフィルムで、20本ほど買ったはいいがあまりに硬くてもてあましていたのだ。


これってコントラストが低くてねむい感じのローライスタンダードのレンズにピッタリじゃなかろうか。旧いレンズに最新のフィルムの組み合わせ。


もう一つ、出発する前に準備したのは卓上三脚。ローライスタンダードはシャッターをボディに押し込むタイプではなくて、シャッターチャージレバーを横にスライドさせることでシャッターが切れる。そのためとてもブレやすいという欠点がある。そこで「ヨドバシカメラ」でプラスチック製の卓上三脚を購入した。全長10センチほどの脚の部分を胸に押し付けると、カメラがとたんに安定する。お値段480円。もし使い物にならなくても懐は痛まない。


バリは昔のバリじゃなかった。そんなことは百も承知、二百も合点のつもりで出かけたのに、滞在していると昔のよかった頃のバリ島のことばかり思い出して寂しくなった。なかなかカメラを出す気にはなれない。救いだったのはちょうど大きなお祭りがあったことだ。お寺の中は相変わらず荘厳でカラフルで「バリ島は変わっていないよ」と言っているようだった。


3時間もお寺で儀式やお祈りを見ていた。邪魔をせぬようカメラをそっと取り出し、ほの暗いファインダーを覗き込んだ。ルーペで見ると画面の真ん中しか分からない。でもそれで十分な気がする。写したいものを真ん中に置いてシャッターを切る。撮っているうちに段々楽しくなってきた。つかえたものが落ちていくような気分だ。


仕事じゃないんだし、必ず写っていなくてはならないというわけでもない。写っていなければがっかりもするだろうけど、それでもいいかという気にこのカメラはさせる。逆に写っていたらこんなに嬉しいことはない。


仕事カメラでは、写した瞬間に仕上がりがどんな写真になるか大方見当はつくものだけど、今回はそうはいかない。ファインダーの真ん中しか見えてないから何が写っているか分からない。後はプリントするときのお楽しみ。




近頃の35ミリレンズは、デジタル時代になってCCDの性能をフルに引き出すために今まで以上の高性能化が求められ、シャープさや解像度の高さには目を見張るものがある。ポジフィルムで撮影しても発色はクリアでヌケがいい。仕事レンズとしては完璧といえる。


でも、やたらと仕事が出来るやつと飲みに行ってもつまらないもの。遊ぶならちょっと変わったやつの方が面白いというのがあるでしょ。これはレンズも一緒。年々、一癖も二癖もあるレンズに惹かれてしまい、人が見向きもしないレンズを探してしまう。




帰国後プリントして見ると、滲んだ絵からはちょっとだけ昔のバリ島の匂いがした。どこか甘く、柔らかい描写は、思ったとおり南の島の太陽にピッタリあっていた。


それと1枚、逆光で撮ったカットに派手にゴーストが出ているものがあった。ゴーストは真ん中に写っている人間を避けるように半円状に出ている。まるで後光が差しているようだ。望んで撮れるものではない。僕はこんな偶然を待っていたのだ。

(2002/10/02)